歴代実行委員長紹介

1999年〜2000年
立壁正子(たちかべまさこ)


まち飛びフェスタ発起人の一人であり、初代実行委員長。

立壁正子さんのこと(寺田弘さん寄稿文)

平成六年に立ち上げた立壁正子さんのタウン誌『ここは牛込、神楽坂』は秀逸だった。

彼女は昭和十二年に神楽坂六丁目で生まれ、津久戸小で学んだちゃきちゃきの神楽坂っ娘だった。そのこともあり誌面では神楽坂周辺の人、歴史、事物、土地の記憶や文脈を、それこそ丹念に丁寧に深く堀り下げ、コピーライターとして腕を磨いた格調高い文章と親しみ深い内容とで、各号ともタウン誌の域をはるかに超えていたとも云われていた。

その彼女、平成十一年に突如「まちにアートを組み込んだイベントをやろう」と思い立ち、アユミギャラリーの面々と手を組み「まち飛びフェスタ」を始めた。

ところが翌年の秋に体調を崩し、十三年三月に六十三歳で残念ながら他界。雑誌もその年の二月に出た十八号にて廃刊となった。
ご自身、チャーミングな人柄で多くの人々を魅了していたが、何といってもタウン誌を通して地元の人々に地域愛をめざめさせ、粋なまちへの思いを抱かせた功績は大だった。

「まち飛びフェスタ」とともに、彼女が願った「神楽坂に劇場を」の思いは、今でも多くの人々のこころに引き継がれている。

2001年〜2003年
坂本二朗(さかもとじろう)


二代目実行委員長。

1945年、中国上海生まれ。東京理科大学建築学部卒。1級建築士。坂本商店(坂本ガラス店)四代目店主。

神楽坂まちづくりの会副会長のちに会長、NPO法人粋なまちづくり倶楽部副理事長、新宿区商店会連合会副会長などを務め、長く神楽坂のまちづくりに係る。特に、1998年から本格化した「街並み環境整備事業」への貢献は大きく、現在に繋がるまちづくりの基礎づくりに活躍した。

神楽坂まち飛びフェスタでは委員長を辞して後も、商店会員でもある実行委員の一人として、若い世代と一緒にまち飛びフェスタの継続・発展を支え続けた。

着流しの着物と江戸っ子べらんめえ口調でまち案内を行う、神楽坂の名物ガイドでもあった。

2016年11月逝去。

2004年〜現在
日置圭子(ひおきけいこ)


三代目にして最長期間の実行委員長。

大学卒業後、金融機関で働いたのち出産を機に退職。約10年間、地域に根差した子育て中心の生活を経験する。2000年に神楽坂に引っ越し、夫が地域のまちづくりに関わる方々と交流があった縁から、2003年より神楽坂のまちづくり活動に携わる。

2004年から「NPO法人粋なまちづくり倶楽部」副理事長として、主に文化・伝統芸能を通じたまちづくりを担当。同年より、まちの文化祭「神楽坂まち飛びフェスタ」実行委員長も務めて現在に至る。

2007年には「株式会社 粋まち」を設立し、地域の文化を活かしたまちづくり・文化企画の事業的展開に携わり、神楽坂はじめ近年は地方の地域活性化事業や文化企画に関わることも増えている。

2013年から、毎年1回開催の「神楽坂まち舞台・大江戸めぐり」(主催:アーツカウンシル東京、NPO法人粋なまちづくり倶楽部 助成・協力:東京都)を、地域とプログラムを繋ぐコーディネーターとして牽引している。